地動説から科学へ

さて、今までの自然現象の説明体系と密接に関わっていた天動説から地動説への変換は、様々な疑問が生まれました。例えば、地球が動いても雲が置き去りにされない理由はなんなのかとか。しかも、地動説は今までの説明の根拠であった聖書の「太陽は地球を止めた」という内容と矛盾していた。

従って、聖書に変わる新しい説得力を持つ基準を作らないといけなかったのです。
そのために実験という方法がガリレオ・ガリレイによって導入されました。

当時の実験の方法は中世のころの技術でも可能でした。時間を計る方法も、その時は振り子ではなく、水時計や脈拍、あるいは歌を歌うことで測っていたといわれています。なぜこの時代に実験という発想が生まれかというと、それは実験を用いてよいという空気が当時形成されてきたからでしょう。ルネッサンス、人間賛歌、大航海時代による世界の広がり、宗教革命とそれに続く宗教戦争による聖書の解釈の拡大、この時期のヨーロッパは地理的にも精神的にも世界が広まった時期だったのです。その空気が実験という発想を生み出した。

しかし、ガリレオは地上のみの運動しか実験で説明されておらず、天体での運動は別の形で説明されていた。これを一つにまとめたのがニュートンのプリンキピア。この本をもって、世界全体の運動を説明する科学が始まったといえる。(プリンピキアは、物体の運動をあえて微積分を用いずに当時普及していた幾何で説明している化け物のような本なので、興味がある方はぜひどうぞ)

The Principia (Great Minds)

The Principia (Great Minds)

さて、最後に科学とそれ以前のものとの差異が読み取れるニュートンの言葉を紹介したいと思います。
運動の法則や万有引力などが発表がされたとき、当時の人々はニュートンに聞きました。「どうしてこれらがあるのか、それらの目的はいったいなんなのか」と。それに対してニュートンは「私は仮説をつくらない」と答えた、つま科学はhowは答えられるけど、whyについては答えないし、答えることができないのだと。この転換が近代以降にどのような意味をもたらすのかについてもちょっと考えていきたいです。

そんなニュートンも敬虔なクリスチャンであり、エーテルといった物質を仮説して何とか説明したようとしてはいたが。

読んだ本 風雲児たち

風雲児たち 幕末編1 (SPコミックス)

風雲児たち 幕末編1 (SPコミックス)

最近、読み始めました。さまざま人物が登場する群雄劇。非常に面白いく、当時を見渡す地図とコンパスを与えてくれると思います。

アブダクション 第三の推論法

 今学期、知り合いの読書会に参加しています。読でんでいる本は向井周太郎著「デザイン学 思索のコンステレーション」です。デザインは僕の興味の中心ではないのですが、昔日立製作所の丸山 幸伸 がおっしゃっていた”デザイン的思考”というものが気になっていたことと、主催者である知り合いが非常に面白い人で、彼がどんなことをするのか見ていこうと思って参加しました。ここでは、その読書会の一部でも書いていこうと思います。ちなみに下記の文章はほとんどレジュメの写しなので、問題がありましたら連絡ください。

 アブダクションとは、チャールズ・サンダース・パースの用語であり、「演繹」、「帰納」に加わる第三の推論法。アブダクションとは仮説形成と訳され、発見、想像の論理と呼ばれる。

例「化石が発見される。それは例えば魚の化石のようなもので、しかも陸地のずっと奥で見つかったとしよう。この現象を説明するために、われわれはこの一帯の陸地はかつて海であったに違いないと考える」(【パースの記号学】)

 つまり、それ自体は実態的根拠はないが、そのように仮定するとすべてがうまく説明でき、問題を解くことができるようなフレームを仮説として形成することが、アブダクションという推論の手続き。

 引用終わり

 工学的発想であるならば、まずそこの地質を調査して、何かしらの根拠を見つけるものですが、アブダクションの場合、有効な前提をとりあえず置くところから始まる。この前提、あるいは場を新しく形成するのがデザイン的思考の要素だと考えます。
 これは丸山さんがおっしゃったことなのですが、「ある駅で待ち合わせをし、電車で向かっているが遅れそうである。相手に連絡したいが電話番号しかわからず、電車の中では使えない」という問題があるとき、工学的思考の人は、その問題の原因は電車、または携帯にあると考え、電車の中に通話ボックスを作るか、携帯にCメールといった電話番号で使えるメールを開発するという発想をするのですが、デザイン的思考の人は、こんな考え方をする。「駅の待ち合わせ場所に大型スクリーンを用意し、そこにネットを通じていろいろな書き込みができるようにする」。まぁ、これが有効かどうかは置いといて、このようにデザイン的思考の人はまったく演繹できでない前提を用意して、問題を解決しようとするそうです。

人間の尊厳について

人間の尊厳について (アウロラ叢書)

人間の尊厳について (アウロラ叢書)

 ルネサンスの新しい人間観を表現した本としては、一番適当かと。この本は本文の内容もさることながら、全体の5分の4を占める訳者注が読み応えがあって、無知な僕にはとてもありがたかったです。

 こういう本を読んで、人間て素晴らしいなぁ、と感じた後に、ペトロニウスさんが勧めていた「収容所群島」を読むと、かなりへこみます。

収容所群島(1) 1918-1956 文学的考察

収容所群島(1) 1918-1956 文学的考察

どちらもお勧めです

天動説から地動説へ

 科学の発生する契機として、重要であったのはコペルニクスによる天動説から地動説による転回でし。この転回によって、学者たちは従来の世界観を捨てて、新たなものを作り上げる必要がでてきました。なぜなら、従来の世界観の基盤となっていたアリストテレスの自然学は天動説を組み込んで構成されており、地動説が正しいとしたら自然学全体の改革が必要だったからです。
 
 このアリストテレスの学問は、どのようにとhowを問う科学と違い、目的、原因を問うものであり、キリスト教と非常に相性が良かった。例えば、彼の考えでは物体にはあるべき位置というものがあり、物体はそこに向かうように動く、気体は上の方向に、固体は下の方向に、あるべき位置がある、(ちなみに何も目安がない真空は否定されていた)そして人間が向かう場所に神様がいるみたいな発想があった。アリストテレスの考えがキリスト教の教えに組み込み、一体化した事例もあり、両者密接に関わっていた。余談だけど、このアリストテレスの考えとキリスト教を結びつけたのがトマス・アクィナスであり、それ以前はアリストテレスの考えはキリスト教には異質なものだった。
 
 しかし、天動説は様々な問題を抱えていた。前後に移動する惑星の動きや、地球との距離が変化する火星の問題に対して複雑な運動の説明をする必要があったり、外惑星・内惑星ごとに異なった区別が必要だったなどなど。これに対して、地動説の場合、これらは非常に単純な説明で済ませることができて魅力だった。(コペルニクスの説はいろいろ矛盾も抱えていたが)そして、何よりも既存の説明体系を捨ててまで、地動説に多くの人々が転向した理由とは、太陽系の構造を観測データのみから説明できることにあった。ここに先見に囚われず、観測に基づいて考察するという科学の萌芽が見られる。だが、前回の記事に書いたように、科学の誕生を「実験」の導入と捉えるならば、観測だけに基づいたコペルニクスの地動説はまだ科学とはいえない。科学の誕生はガリレオ・ガリレイまで待たないといけない。
 
 ところで、この地動説は知っての通り聖書の記述とは矛盾しており、異端であったが、コペルニクスケプラーなど地動説を唱えた人は熱心なキリスト教徒であり、彼らはこの矛盾を聖書の解釈の違いとして批判を避け、最終的には天文学は聖書から切り離して考えるべきという考えを生んだ。

16世紀の怒涛

 ジョンロックの「統治二論」を読んで、この時代におけるキリスト教というものがどういうものだったのかと、調べていたら、16世紀のヨーロッパが非常に面白いことに気づいた。もともとママレさんの「まおゆう」を読んで、社会思想史を楽しみ始めたから、そこに至るのは当然の帰結かもしれないが、やはりこの時代は面白い。

 この時代は宗教、科学、政治、地理など、世界が一挙に拡大した時代であり、この時代に起きた現象をざっと列挙すると、
 ルネッサンス
 大航海時代による世界の拡大
 宗教改革によるキリスト教のゆらぎ
 アリストテレスの自然学の崩壊と科学の誕生
 印刷技術発明、農業、医療などの発達
 戦争の激化
などなどと、非常に世界が揺れた時代であり、多種多様の人間が現れてくる。
例えば、冲方さんの「ピルグリム・イェーガー」とかおもしろい。

他にも、塩野七海さんの本とか
ルネサンスとは何であったのか (新潮文庫)

ルネサンスとは何であったのか (新潮文庫)

 ここらへんの人達の活動や作品を時間をかけて追ってみたいと思う。

実験が科学を生んだ

 授業で科学史を取っているのですが、これがめっぽうに面白く、毎週受けるのが楽しみでしょうがないです。授業の内容は幕末・明治維新前後における日本という、まさに東洋の学問と西洋の学問が衝突する時期であり、物語のダイナミズムが感じられる時期です。日本が今まで培ってきた東洋の学問から西洋の学問に乗り換える決断を示した決定的な原因は何か。その時日本人は何を捨て、何を未来に残そうとしたのか。などなど、テンションが上がります。授業の内容をまとめるついでに、一部の内容を日記に載せたいと思います。

 そもそも科学とは何か? 我々は呼ぶ科学とはいつ成立したのか
自然を対象とした知識体系というならば、アリストテレスあたりまで遡ると思いますが、今回は科学が成立したのは、技術に実験という方法が組み込まれたガリレオ、ニュートーンあたりの時代としときます。
 実験というのは、一部の条件を無視し、特定の要素だけを考慮して、理論の妥当性を確証したり、未知の結果を得るための方法ですが、この方法は科学が成立する以前から世界中の技術者が共有していた。例えば、料理、刀鍛冶、弾道学など。これらも何度も調整を加えながら、よりよい結果を求めている。つまり、科学は技術の発想を土台として成立したといえる。ただし、実験はその方法の精密性、厳密性高め、実験の条件を容易に替えられるようにした。そして、科学と技術の大きな違いは、技術が実用的な目的を意識したのに対して、科学は実用性とは離れた知識を求めた。
 この実験という方法がなぜヨーロッパのみで生まれたのかというのは、まだ授業では詳しくならっていないが大まかにいうと、ニュートーンの時代、神の解釈が多様化したために、万人に通用する説明の方法が求められたからと書いときます。ここらへん、新大陸の発見、宗教革命、地動説の真実などが関係しているそうで、勉強のしがいがありますね。

 さて西洋と違い日本において技術は科学という学問には変化しなかった。技術はあくまでも身分が低い職人がやるものであり、武士階級がするものではなかった。その時代の日本の武士がする学問とは、文学、政治、倫理、哲学といった無形の学問であり、科学、物理といった有形の学問ではなかった。
 しかし黒船来訪から全てが変わった。とりあえず、今回はここまで。