実験が科学を生んだ

 授業で科学史を取っているのですが、これがめっぽうに面白く、毎週受けるのが楽しみでしょうがないです。授業の内容は幕末・明治維新前後における日本という、まさに東洋の学問と西洋の学問が衝突する時期であり、物語のダイナミズムが感じられる時期です。日本が今まで培ってきた東洋の学問から西洋の学問に乗り換える決断を示した決定的な原因は何か。その時日本人は何を捨て、何を未来に残そうとしたのか。などなど、テンションが上がります。授業の内容をまとめるついでに、一部の内容を日記に載せたいと思います。

 そもそも科学とは何か? 我々は呼ぶ科学とはいつ成立したのか
自然を対象とした知識体系というならば、アリストテレスあたりまで遡ると思いますが、今回は科学が成立したのは、技術に実験という方法が組み込まれたガリレオ、ニュートーンあたりの時代としときます。
 実験というのは、一部の条件を無視し、特定の要素だけを考慮して、理論の妥当性を確証したり、未知の結果を得るための方法ですが、この方法は科学が成立する以前から世界中の技術者が共有していた。例えば、料理、刀鍛冶、弾道学など。これらも何度も調整を加えながら、よりよい結果を求めている。つまり、科学は技術の発想を土台として成立したといえる。ただし、実験はその方法の精密性、厳密性高め、実験の条件を容易に替えられるようにした。そして、科学と技術の大きな違いは、技術が実用的な目的を意識したのに対して、科学は実用性とは離れた知識を求めた。
 この実験という方法がなぜヨーロッパのみで生まれたのかというのは、まだ授業では詳しくならっていないが大まかにいうと、ニュートーンの時代、神の解釈が多様化したために、万人に通用する説明の方法が求められたからと書いときます。ここらへん、新大陸の発見、宗教革命、地動説の真実などが関係しているそうで、勉強のしがいがありますね。

 さて西洋と違い日本において技術は科学という学問には変化しなかった。技術はあくまでも身分が低い職人がやるものであり、武士階級がするものではなかった。その時代の日本の武士がする学問とは、文学、政治、倫理、哲学といった無形の学問であり、科学、物理といった有形の学問ではなかった。
 しかし黒船来訪から全てが変わった。とりあえず、今回はここまで。