何で人は自殺をしてはいけないの?

 トマスアクィナスの「神学大全」を授業で読んでいるのですが、最近扱ったテーマが「人は自分を殺すことを許されるか」でして、トマスは「許されない」と答えるんです。いわく、人間は神の被造物であるので、神は人間の生殺与奪の権を握っており、人間はかってに死んではいけない。どんなにつらいことがあっても生きなければならない。この考えはジョンロックも用いており、彼はそこから所有権や殺人の罪などの根拠を持ってきます。初めてこの考えに触れたとき、ずいぶんと窮屈な考え方をするもんだと思いました。自分に生き死にが神様に決められているなんて、なんだかむかつく。人間は自分で自分の生を決めることが大事なんだとか。そんなことをつらつらと思いました。
 
 例えばソビエト連邦時代の大粛清を描いた「オリガ・モリソヴナの反語法」があるのですが、主人公のオリガ・モリソヴナは収容所に入れられて刃物や縄など自殺に使われるものが全て取り上げられて、自分の生死が他者に管理されている中で、掛け金を研いで刃物を作った。その瞬間途方もない解放感を味わいました。

 

 こうして自分で刃物を手にした瞬間、途方もない解放感を味わったんだ。自由を獲得したと思った。あたしの生死はあたし自身で決めるって。
 もうそのときは、自殺する気なんで完全に雲散霧消していた。絶対に自殺するものか、生き抜いてやる、と心に固く決めていた。そういう勇気と力をこのカミソリは与えてくれた。


 冲方さんのシュピーゲルシリーズの主人公たちも自分で生きると決めたんだと自らに言い聞かせています。彼女たちは、大きな事故や病気にあい、手足を失い、死にかけながらも、政府の手によって体を機械化され、国を守る義務を課せられます。その機械化をする前に主治医は、彼女たちに死んでもいいと、神様には自分が謝るから死を選んでもよいと伝えて、生死の選択を与えます。そう何も選ばずに、国家によって無理やり生きながらえさせて、働かせられるということは死んだもどうぜんなんです。その言葉を聞いた瞬間、彼女たちがどんなに安心したことか。


 とまあ人間が神から離れて自分の生死を自分で決めるという考えは非常に大きな意義があったと思っていたのですが、でもこれって非常に傲慢な考え方でもあることに最近気づきました。ここらへんについてもう少し詳しく書きたいです。